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column
連載コラムvol.14 「棚からひとつかみ」(囲いの外と中で)
2008年12月09日
囲いの外と中で
私たちは、規則や文化、国益や経済活動などの囲いの中に生活していますが、この囲いの外には「別な場があることを知っている」ことが大切なことで、囲いの戸や窓を開けられる、外を見ルことが出来ることが保障されると言うことが今と未来にとって必要なリテラシーということではないでしようか。本来リテラシーの語源は扉をあけて新しい世界を見ることなのです。
子どもたちに身に付けておいて欲しいこのような視点や認識の仕方や手段を習得することが本来の学習であり『学ぶ力』なのではないでしょうか。
1つのデメンションでは1+1=2と書き表しますが1+1=10と書いても良しとされる違った(2進法での)ディメンションも存在するのです。違いを認めるとはそうした、別の見方も有りということを知っていると言うことです。
右、左の筆順は違うと指導しますが、これも、独りの書家によって決められた書家にとって描きやすい順番に過ぎないのです。
なにを大事にするかと言うことは、実はそうした曖昧なものによってその時代に都合の良いものが正してものとして標準化されていくものなのです。
独りひとり見ている世界や見ようとしている世界が異なることを認識してここでは共通したスケールでお互いのコミュニケーションをとるための方法を身に付けることが文化なのではないでしょうか。その中で人となることなのですが、そうした1つの枠にも外の別な枠組みもあることを知っていることが大切なのではないでしょうか。
「私」の存在は「あなた」と呼びかける存在があることで成立するものです。ひとりでは「わたし」は存在しないのです。発達の順序性を見てもそれは明らかです。
変わることが出来るということを受け入れる。
枠組みを替えること、枠組みは多く存在することを知る、それを共有することと違いを受入る事を知る事が大事な認識の仕方であり、他を知ることに一定の法則や理解する共通のことばが必要なことを知り、それを読取る方法を学ぶことが生きる力を育てることになる。
「法」という文字は池の中の島のなかに珍獣を囲うということからできたものです。
1つの約束ごとの中に自由があるのです。約束という囲いがない何をしてもいいという自由は単なる排他的な自己中心的なものに過ぎません。そそうした自由は自由とはかけ離れたたものでしよう。
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